2.工房を支えるファミリーと仲間たち
サント・スピリト通りの中でも、美術品のようなアンティーク家具が目を引くのが、
アンティーク家具の修復と販売をする MARINOです。
創業者である Mario Vegni氏は、小柄なため小さいマリオという意味でマリーノと
呼ばれていたことから、店名にしたのだそうです。
1910年生まれのマリーノさんは、義務教育を終えるとすぐに近くの家具修復工房に
弟子入りしました。
戦乱期も技を磨き懸命に生き抜き、友人と工房を共同経営していました。
友人が亡くなり、1950年に現在の場所でMARINOを創業して、
工房のマエストロになりました。
戦後、工房の経営スタイルは大きく変わりました。人々は工場で大量生産された手ごろな家具を買うようになり、
職人のようなきつい仕事をこころざす若者も激減しました。
一時期は10人前後の弟子たちが働く活気を呈した工房でしたが、1966年11月の
アルノ川の洪水被害もあって、次第に弟子たちも減っていきました。
幸いの息子のパオロと二人の孫のルッカとファビオは、
この仕事が何より好きで自ら工房で働く道を選びました。
大量生産が市場に出回る時代でも、古い家具を何代にも渡って大切に使うイタリア人は多く、
こうした修復工房はなくてはならない存在です。
何百年も前のパラッツォに住み、重厚な家具を受け継いできている貴族からの依頼もしばしばあります。
親子三代、そして近所の工房のネットワークは結束が強く、依頼主とも信頼関係が育まれているのです。
工房には近所の仲間が世間話をしにやってきて、作業の手が止まることもしょっちゅうあります。
またクリスマスの飾りを高い所に取り付けるなど年配者では危なっかしい作業は、
二人の兄弟が率先して近所の工房のために引き受けます。
「今日は銀行に行くんだ」と話し、"money money money♪"とアバの曲を歌いながら
出かける姿も実に陽気で、イタリア的仕事術にもスローライフが感じられます。
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3.高い技術力に裏打ちされた巧みの技
工房内には古い時代の工房の歴史を物語る写真や道具類が架かっていて、マリーノさん
が苦労して築き上げた信頼の技術への敬意がこめられています。
毎月第2日曜日に開かれるサント・スピリトの市にも、マリーノさんが昔から出店していたのが、
セピア色の写真で残っています。
修復が依頼される家具は、年代も材質、種類も実に様々です。
一例を挙げると、骨董的な価値の高い、ルネサンス期の嫁入り道具でもあった
カッサパンカと呼ばれるベンチとしても使用できる衣装入れ。
ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』にも描かれている、カッソーネと呼ばれる同じく
これらは寄木細工や絵画の装飾がなされている場合が多く、少しでも間違ったら
取り返しのつかないダメージを与えてしまうことになります。
表面に塗られているくすんでしまったニスを丁寧にはがす作業に始まり、どんな材質で
いつ頃の家具かを見極めた上で、それに合った修復を施します。
新品同様に直すことより、その家の他の家具や内装も踏まえて、調和と品格のあるものに仕上げられます。
作業は長年の勘と技術が必要ですが、マリーノさんの孫の二人の兄弟が、
工房を任せられるほどの職人となって、現オーナーとなっています。
後を継ぐ職人がいなくて、閉鎖を余儀なくされる工房もある中、頼もしい限りです。
店内はまるでプリンセスの部屋のように、シャンデリアが照らす下には猫足の椅子や
ルイ16世時代の引き出し、象嵌細工のテーブルなどが並びます。
旅する時に使われていたトランクは、1800年代まで使われていたそうで、
現在は収納ケースとして購入されるそうです。
家具ばかりでなく燭台やアラバスターのランプ、ジノリの花瓶、Vaso della notte(夜の
壷と呼ばれるトイレに行かずに用を足せる器)など珍しい調度品もあります。
一見、品数が少なく思われますが、二階建て倉庫には修復を依頼された家具が所狭しと控えています。
「一つ一つの家具には、家族が何代も使ってきた歴史と思い出が詰まっている」とパオロさんは語ります。
大量生産した家具を買った方がお手頃な時代であっても、修復を依頼するのには
家族の絆や思い出を大切にするイタリア人の心まで引き継がれているからなのです。