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イタリア 美男・美女 セレブ


 写真左 

 フィリッピーノ・リッピ自画像 
(ウフィッツィ美術館)

修道士の父と修道女の母が
駆け落ちして生まれ、父と同じ
画家の道を選んだ事で知られます。
破天荒な父とは正反対に、優しく
穏やかな性格で、市民にも
慕われました。

 写真中 

 モントリーヴォは、フィリッピーノ・
リッピのヘアスタイルと垂れ目ぎみな
目元が似ている言われています。
 写真右  

 アタランタのジュニア時代からの
チームメイトのパッツィーニとは
親友で、
フィオレンティーナの頃に
知り合った奥様同士も仲よしです。

一時期は背かっこうが似ているため、パッツォリーヴォと呼ばれ、同一人物であるかのようにNIKECM
出演しました


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Riccardo Montolivoリッカルド・モントリーヴォ サッカー選手)
 
 1985118日ミラノ生まれ

同じイタリア代表なら、マルキージオの方がイケメンという声も
多く聞かれ
ますが、精悍で野性味のあるタイプがマルキージオ、モントリーヴォは甘いマスクで、
タトゥーを一切入れていない品のよい王子様タイプと好みが分か
れるでしょう。

イタリア代表のキャプテンとして、近年はめきめきと統率力と人望の面でも評価が高くなってきている選手です。
5月22日にタレントのクリスティーナ・デ・ピンと結婚したばかりで、私生活の充実がよりいっそうの
高いステージへとつながることが期待されます。

1.ジュニア時代

父は医師で、ドイツ人の母とはイギリスに留学中に知り合いました。
リッカルドは子供の頃、母の故郷であるドイツ北部のキールで夏休みやクリスマスを過ごし、
ドイツ語を自然に学ぶことができました。
ほぼネイティブに近いドイツ語を話し、ドイツと対戦する時は選手たちが何を話しているか理解して、
すぐに対策を打てる刺客にもなれます。

同名の画家の出身地でもあるカラヴァッジオで育ち、地元のサッカースクールに通い、才能を認めたコーチが
8歳の時に、国内トップクラスの育成部門がある
アタランタの下部組織に入るように勧めてくれました。
各アンダー世代の代表に召集されてきて、プロになる以前から若手の主力選手と
なっていました。
プロデビューは18歳の時で、当時はセリエBだったアタランタでプレイし、翌年にはセリエAに昇格した
チームで経験を積みました。

2.フィオレンティーナ時代

05年には、若手主体のチーム作りに移行中のフィオレンティーナへ
移籍しました
が、当初は出場機会に恵まれず途中交代での出場がほとんどでした。
それまでの選手生活で代表でもサブであった事がなかったため、サッカー人生初の屈辱感を味わいました。
しかしこの経験によって、「心が折れずに試合の流れを冷静に見つめる目を養うことができるようになった」
と後になって語っています。
U-21イタリア代表では、予選プレーオフのスペイン戦でアクロバティックなボレーシュートで勝ち越し
ゴールを奪い、チーム内得点王(3得点)となり、本大会出場に
貢献しました。

06-07シーズン途中にドナデルがケガにより離脱すると、同ポジションを引き継ぎ
クオリティーの高い
プレーを見せました。
守備面で成長することによって、レギュラーポジションを確固たるものにし、リーグ34試合、
UEFA11試合に出場、出場時間数はチーム1位となり、フィオレンティーナ
の中心選手へと成長を遂げました。
このシーズンの活躍により、セリエA最優秀若手賞を受賞。08-09シーズンには、弱冠23歳にして
フィオレンティーナのキャプテンを任される
までになり、現イタリア代表監督のプランデッリからの信頼も
厚くなっていました。

09-10シーズンはリーグ戦36試合、欧州カップ戦9試合、国内カップ戦3試合と48試合もの試合に
出場しました。
リーグ戦ではパス数はピルロの2511本に次ぐ2143本でリーグ2位をマークし、インターセプト数は
ルシオの137回に次ぐ125回でリーグ2位と、データ上でも攻守で
リーグ屈指のセンターハーフとして、
充実したシーズンを送りました。

10-11シーズン開幕前に契約延長を拒否し、バイエルンやACミランといった国内外の強豪から注目を
集めましたが、結局残留することに。
彼はフィオレンティーナとの契約が満了になる時期、「契約金の問題じゃないんだ。
今のチームをどう変えていくかのヴィジョンが見えないから。」と将来を見据えて自分が進化できる
クラブへの移籍を選んだのでした。


3.ミラン時代

ミランへの移籍後の‘1211月、テクニックもあり運動量も多く、視野が広く守備も攻撃も献身的に
できる選手であると認められ、ユヴェントス戦にて初めてキャプテン
マークを巻きました。
136月、退団したアンブロジーニの代役として、ミランのキャプテンに正式に就任しました。
ミドルシュートを決められないと言われていましたが、’144月のカターニャ戦でのみごとな弾道で
切り込んだ決勝点で、汚名返上しました。

4.今後の展望

これまで大きなケガにも見舞われずにきましたが、非常に残念なことにワールドカップ直前の
アイルランドとのテストマッチで、キャプテンとして試合出場10分にして骨折
により病院に緊急搬送
される事態になりました。
ワールドカップ出場のため予選からチームの中心選手として貢献してきただけに、チームとしても
モントリーヴォの欠場は大きな痛手となりました。
彼にとって最も充実している時期に出場を逃したことは、精神的ダメージを負うことになりますが、
この苦境を糧にさらなる進化を遂げて戻ってくると信じましょう!
高い位置から守備ができ、パスセンスもあわせ持つ選手として、ピルロやトッティの次世代を担っていく
存在になりうると目されており、これからも目が離せません。

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